「憲法9条」 大岡裁き ~ぽかぽか落語~

【登場人物】

玉三郎。

九蔵。

大岡越前

金太郎

大家さん


間抜けなものが足にひっかかった、財布か。ん、財布じゃないな。人間だ。財布と、人間を間違えるかふつう。って一人でしゃべってもしょうがないな。おいどうしたんだ。


離せー、俺はこの玉川でぐるぐる巻きになって飛び降りるー。死ぬことを選択することは人間の尊厳だ~。


いきなり大丈夫なのか、この落語。過激な人と出会ってしまったな。おいおい、ちょと俺の前でそんなことをするのはよしてくれないか。


いやだ~。


困ったな。分かった、俺は左官の金太郎ってよばれてるんだ。みんなきんさんとよんでる。お前名前は何ていうんだ。


玉三郎だ~。


玉三郎?玉さんが、玉川で飛び降りようとしてるのか。名前がややこしいな~。本当に先が思いやれる。玉さん、ま~ここにゆっくり座ってよ。どうして死のうとしているんだ。


聞いてくれるのか。実は私は憲法学者で憲法9条草案を書いているんだが、名案が思い付かず、失望し、生きていてもしょうがないと思ったんだ。


極端な人だな~、あっしは江戸っ子だから、そんなの分からないから、そもそもの憲法9条について、教えてもらえないか。


え、聞いてくれるのか。それじゃぁ、聞くが、あなたは憲法は誰が作ったのか分かるか?


神様なのか?


あなた、本当に言ってるのか。大丈夫か?


ほとけ様なのか?お釈迦様なのか?もしかして、聖徳太子?


微妙に近づいてるよ。では憲法とは何なのかからはじめないといけないな。


憲法って食べれるのか?


分かった分かった。そうじゃない。憲法とは国家権力への命令だ。


またまた、玉さん、違うでしょ~。国民への命令でしょう。そんなのあっしでもわかりますよ。


国民に対しては法律だ、民法や刑法だな。


民放って、地デジだよな?NHKではない局。そういえば立花孝志が政見放送でNHKをぶっ壊すって、これがNHKで流れてましたよ。


お前も、余計なことをいうなよ。その民法じゃない。法律の方だ。


は~。


法律ではなく憲法。国民の自由、平等、財産。この3つを保障する第13条こそ日本国憲法の生命・最重要項だな。


へ~そうですか。


そうだ、国民の生命・自由、この2つを守るのが、近代国家としての最大の責務。だ。


へ~深いですね。落語とどっちの方が深いんですか?


落語の方が深いな。


落語の方が深いんですか?


たまに面白くない落語ってあるだろう。あ~ゆうのを聞いてたら不快だな。


それ深いと不快が違うんじゃないですか。


こうゆうことを言ってないとこの落語がなかなか面白くならないんだ。ところで憲法9条だが。


そう、それを聞ききたいんだ。


今や憲法第九条は空文となったな~。


へ?


空文となった。


もろこし、中国の唐に行って修行して帰ってきて、最澄に密教を教えず、中国での経験をもとに香川県の満濃池を作った人。


それは空海だ。


有名なことわざがありますよね、(ぼうこう)膀胱も筆の誤り。


それをいうなら、弘法も筆の誤りだ。空海は長安に行く予定が船が遭難して今の台湾の裏手についたんだ。服もボロボロになってこれは日本からの使いではないと中国人怪しんだ、しかし空海が懇願のために書いた字があまりに綺麗だったんで、入国させてくれたという逸話があるんだ。


へ~、すごいですね。


弘法大師空海。弘法は空海にとられ、太閤は秀吉にとられ、暴君はネロにとられたと言われてるな~。


最後のは玉さんが作ったでしょ。


小室直樹大先生だ。


そうですか。


憲法9条が空文になったことに関して言う限り、日露戦争の10年前に起きた日清戦争の方が重要だろう。と言うのも、この戦争で憲法の解釈が確定し、日本は立憲君主国家になった。


へ~、立憲君主国家。


立憲民主党は関係ないんですか?このあいだ立川志らく師匠の落語の中の登場人物が言ってましたよ。「変な夢を見た。(モザイク音)わ~さんが化粧をとったら(モザイク音)わ~さんになったって。」


お前も、そんなこと言って大丈夫か?


私が言ってるのではない、志らく師匠の「たいこ腹」という落語の一八という太鼓持ちが夢の中で見たことなんだから。私はそれを言っただけ。


立憲君主国家で有名なのはイギリスだ。アン女王が拒否権を行使して以来、君主、つまり国王や女王は政治に口を出さなくなったな。「王は君臨すれども統治せず」ということだ。


そうですか。「ありの~ままの~姿見せるのよ」ですよね。


それは「アナと雪の女王」だ。アナではなく、アン女王だ。


「Let it be、Let it be、Let it be、Let it be」ですよね。


それは「Let it be」だ。「アナと雪の女王」のありのままでは「Let it go」だ。


そうですか。


日本の場合、当時の朝鮮政府内で親中国派(その頃は清国だな )それと親日派の抗争が長らく続き、政治に混乱が生じた為に朝鮮国内で農民反乱が起きた。これを受けて、清国が朝鮮出兵を宣言し、これに対して1885年に結ばれた(てんしん)天津条約に従って日本も出兵を決めたところから戦争が始まった。この軍事緊張が起きた時、日本の政府、特に外務省や軍部は日清戦争已む無しと言う覚悟を決めていた。そこで未だ宣戦布告もしない内に大本営を設置するなど、矢継ぎ早に対策を講じていた訳だが、これに対して猛反対をなさったのが。


誰なんですか?


明治天皇であった。最終的には戦争は已むを得ないとしても、外交交渉を尽くしたらどうかと言う御意向であったのだ。


へ~、天皇さんは戦争反対だったんですね。


ところが結局、同年7月25日の(ほうとうおきかいせん)豊島沖海戦から日清戦争が始まった。未だ、この時日本は清国に宣戦布告をしていなかった。この(ほおせ)報せを聞いて、明治天皇が激怒なさったのは言う迄もない。天皇は直ぐに伊藤博文公を呼び、攻撃中止命令を出された。この天皇の命令に対して、時の明治政府はどう対応したか。ここが大事なんだ。


ここが大事なんですか?


そうだ。ここで天皇の命令通りに攻撃が中止されたとすれば、天皇は専制君主であると言う事になる。君主の信託を受けた内閣が実際の政治を行なっていても、最終的な拒否権が天皇にあると言うのなら、これは紛れもない専制君主国家である。


専制君主国家?


分かりやすくいえば、「天皇は君臨もするし統治もするだ」


それは誰の言葉ですか?


ぽかぽかという人の言葉だ。


そうですか。


一方、如何に天皇が君主であると言っても、内閣の決定に拒否権を行使し得ないと言うのであれば、これはイギリス流の立憲君主国家と言う事になる。さっきいった様に、「王は君臨する。しかし統治はしない 」こういうことである。イギリスでは1707年、アン女王が拒否権を発動したのが最後で、それ以後の国王、女王は誰も拒否権を行使していない。


それ、さっきも聞いた話でないですか?


たまに、ボケをはさまないと。


全然伝わらないボケですね。そんなボケをおうちでやってたら家庭は崩壊しますよ。


しかして日本の場合は。その答えは歴史の示す通り。政府は従来の方針に従って日清戦争に踏み切った。同年8月1日、日本は清国に宣戦布告をした。明治天皇はあくまでも戦争に御反対で 「これは朕の戦争ではない 」そうとまでおっしゃったと伝えられている。開戦の報告を皇祖 (天照大神 )と皇考 (孝明天皇 )の(ごりょう)御陵に報告する為の勅使の派遣をなさらなかった。これもお怒りの表われである。


へ~、それってどのくらいのお怒りなんですか?


今の日本の仏教に戒律がないのを仮に知った(がんじんわじょう)鑑真和上が、見えぬ両の目から涙を流すくらい怒ってる。


けっこう怒ってますね~。もう、何を言ってるのかわからない。けど、続けてください。


ところだがな、一度政府が戦争の決定を下した以上、それに対して明治天皇は拒否権を行使なさらなかった。


それが、何の関係があるのですか?


つまり、この日清戦争を契機に、日本では事実上の憲法の変更が行なわれ、日本は立憲君主国家になったと言える。


は~。


そうゆうことで、日清戦争の時、明治憲法は事実上の変更をされた。天皇は立憲君主になられたのであって、閣議の決定に拒否権を行使しない事が慣習となった。つまり、日本もまた、18世紀以後のイギリスと同じ立憲君主国としての道を歩む事になったのである。従って、イギリスが近代に入って数々行なった戦争について、時の国王 ・女王に政治責任がないのと同じだ。


それが、何の関係があるのですか?


昭和天皇に開戦の責任などあろう筈もない。


なるほど~。明治天皇が拒否権を行使しなくなったから。「天皇は君臨する。しかし統治はしない 」そういう国家になった。昭和天皇はそれを引き継いでるから、開戦の責任があるはずはないということだ。ところで先生は右翼の方なんですか?


いや~、そうゆうわけではないんだ。小室直樹先生が社会学者で、数学的、論理的な考え方も入ってるな~。


そうきましたか。


これまでは大日本帝国憲法の話だが、日本国憲法の第九条を巡る論議が、常に堂々巡りを続け、結論を得ない最も大きな原因は、この条文が述べている 「戦争の放棄」とは一体何を意味するのか、ここが肝心だ。金さん、日本国憲法第九条を言えるか?


言えない。寿限無寿限無だったら言えるんですけど。


「日本国憲法第九条日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に(ききゅう)希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 第2項。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」こう書いてある。


そうですか。文章では見たことがあったんですけど、読んでみると長いですね。これはなかなか覚えられないですね。寿限無寿限無の方が覚えやすいですね。


この第九条では第一項で 「国権の発動たる戦争 」それと 「国際紛争を解決する手段としての戦争 」。これを放棄するとしている訳だ。しかし自衛戦争は放棄しているのか、していないのか。これが明示されていない。そこで自衛隊は違憲なのか、合憲なのかと言う論議が生まれてきて中々決着が付かない。これは一例であって、第九条の条文は様々な問題を(はらんでいる)孕んでいる。では、この様に条文の意味が曖昧で、解釈が分かれる場合、国際法ではどうするか。現代の地球上には、国際法の解釈を確定してくれる裁判所などは存在しない。権威ある第三者が条文の意味を決定してくれる事は期待出来ない訳である。


じゃあ、どうなるんですか?


こうした場合、国際法で先ず優先されるのが 「立法者の意志 」。これである。アメリカが日本に九条を押し付けた意味は明々白々で、それは日本による対米報復戦を封じる為の物であった。日本に勝ったアメリカが最も心配したのは、将来、日本がアメリカに対してリターン ・マッチをするのではないかと言う事であった。そこでアメリカは、教育の 「骨抜き 」に代表される、様々な防止策を(とった)採った訳だが、しかし、単に日本人の愛国心を骨抜きにしたり、或いは日本にデモクラシーを定着させるだけでは決して安心出来ない。

そこで彼等は九条を制定して、日本の軍備をゼロにする事を考えた。


へ~、そうなんですね。


(かつて)嘗て、第一次大戦に敗れたドイツは、ベルサイユ条約によって徹底的に軍備縮小をさせられた。言うまでもない。ドイツの報復戦の可能性をなくす為であった。しかし、それでもヒトラーのドイツは見事、ドイツ国防軍を復活させた。この経緯があるから、アメリカは今度は徹底的に日本の武装解除を狙ったと言う訳である。


そうだったんですね。


従って、この九条は本来、日本がアメリカに対して復讐戦を行なわない事を主眼として設けられた物であったと言うことができる。


なるほど。


立法者の意志から見た場合、憲法第九条とは、本質的に日本の対米報復戦を抑止する為に作られた条文であったと言える訳だが、しかし、これはあくまでも 「だった 」 と言う過去形の話であって、それで以て憲法九条の解釈が確定すると言う物ではない。ここが重要である。


そうなんですか。


何故なら、憲法が制定された時代と今日とでは余りにも事情が違い過ぎるからである。先程も述べた様に、この憲法が作られた時、日本の戦争と言えば対米報復戦だけであって、それ以外の戦争は想定されていなかった。しかし、憲法制定から数年も経たない中に状況が大きく変わる。米ソ冷戦の激化である。ここに於いて、 「日本の戦争」は対米報復戦から、ソ連が攻めて来た場合の自衛戦争に意味が変化した。


は~。


この状況の変化に対応すべく、アメリカが吉田内閣に圧力を掛けて自衛隊を創設させた事、これは今更言う迄もないだろう。ところが、事情の変化はそれだけでは終わらない。1991年のソ連邦の消滅によって、米ソ対立と言う図式が今度は消滅した。


そうですよね。同時期に昭和天皇はおかくれになられ、ベルリンの壁は崩壊する激しく激動がおこりましたよね。


そうだな。ベルリンの壁の崩壊はまさに、マリーアントワネットで象徴されるフランス革命の発端。 バスティーユ牢獄が襲撃されたくらいの衝撃だな。


たまさんの表現は素晴らしいですね。


小室直樹大先生の言葉だ。


もはや米ソの直接対決、或いはその代理戦争が行なわれる可能性はなくなった。その代わりにまず現われたのが、 P K Oに象徴される国際紛争の解決手段としての戦争である。アメリカの関心は、アフリカやアジアの各地で行なわれている局地紛争、或いは国内紛争の仲裁者になる事に移った。日本にも P K O等の派遣要請が来る様になった。


は~P K Oとか難しいですね。)AKBだったらわかるんですけどね。


AKBは私も好きだ。ところが、ここに来て、またまた戦争の意味が変わってしまった。イスラム対アメリカの戦いである。2001年9月11日に起きた同時多発テロ事件まで、テロと戦争とは区別されて扱われてきた。ところが、ここに来てアメリカは戦争の定義を変更し、同時多発テロ事件はアメリカに対する戦争であるとした。そして、この 「聖戦」への参加を世界中の国に呼び掛ける事になったと言う訳である。


は~


「事情変更の原則」とは戦後半世紀の間に、 「戦争」と言う言葉の持つ意味は二転、三転、四転した。この様な状況に於いて、果たして70年前に作られた憲法九条をどう解釈すべきか。これは立法者の意志だけでは解決の付く問題ではない。


なるほど。


そこで次に重要になって来るのが 「事情変更の原則」の検討である。


は~


「戦争」の概念は完全に変わったのである。今の日本で、大東亜戦争のかたきうちを本気で行なうべきだと考えている人がどれだけいるか。いる訳がない。何しろ、 「アメリカの五十一番目の州になった」とさえ言われているのが現代の日本である。その日本がアメリカに戦争を売れば、戦争をする前に日本経済の方がたちまちにして崩壊してしまうのがオチと言うものである。


ほ~


つまり、憲法九条を巡る 「事情」は完全に変更された。よって事情変更の原則によって、憲法九条は空文化、死文化したと見るべきであろう。


は~


終戦直後、アメリカは 「次に日本が戦争をするのだったら、それはアメリカに対する再度の挑戦になるだろう 」と考えた。ところが、今日、日本にとって最も大きな可能性を持つ 「戦争」とは、海外からのテロ攻撃、ゲリラ攻撃である。即ち、日本海沿岸の原子力発電所が某国の手に依って破壊される。或いは霞ヶ関や永田町において毒ガスや生物兵器が使われる。或いは満員の大観衆のいるスタジアムが爆破される … …半世紀前には誰も予想もしていなかった事態が、今や絵空事ではなくなりつつある。こうした可能性を完全に否定出来る人はいないであろう。


いや~、過激そうな話ですが、起こりうくべきことに対策が必要ですよね。


しかしだな、こうした 「新しい戦争」の危険性を指摘すると、 「だが、それでも尚、憲法第九条が掲げる平和主義 ・非武装主義は守っていくべきだ」。こう主張する人達が必ずいる。どんなに時代が(へんせん)変遷し、事情が変わろうとも、

戦争をしないという思想は時代を超越していると言う訳である。


成程、それはそれで一つの思想である訳ですからね。


だから、そうした意見を完全に否定する物ではない。それで、名案が思い付かず、失望し、死ぬことを選択することにしたんだ。


だから、極端なんだって。先生はみんなのことを思って憲法を考えてるんでしょ。みんなのためにつけるけじめがあるんだったら、自分のためにつけるけじめがあったっていいじゃないか。もう少し頭を柔らかくして考えたらいいじゃないか。


そうだが、意見が対立している相手がすぐそばにおる。


え?


あそこで玉川に飛び込もうとしている若者だ。


おんなじような人がもう一人いたよ。お~い、そこのきみ~。え、おい、ちょっと。


離してください、離してください、私は飛び込むんです。


どうして飛び込むんだ。


離してください。 平和じゃない世の中になるんだったら、死んじゃった方がましです~。


変なこと言ってないで。ま~そこにゆっくりして座れ。俺は左官の金太郎ってよばれてるんだ。みんなきんさんとよんでる。お前名前は何ていうんだ。


久蔵です。


久蔵?憲法9条で悩んでるときに、今度は久蔵か。名前がややこしいな~。本当に先が思いやれる。


私も憲法学者です。さっきあなたと話しをしていた玉三郎さんと意見が対立してるんです。


分かったよ。話を聞いてやる。


日本国憲法の核とも言うべき条文は何条か分かりますか?


分かるよ、神田松之丞だろ?


あなた、本当に言ってるのですか。大丈夫ですか?


冗談だよ~、冗談。9条だろ。


ブーブー。


え、違うのか?


日本国憲法は全部で103条の条文で成り立ってます。その中、憲法の芯、憲法の核とも言うべき条文は第何条か?ヒントは第九条ではありません。


いや、それはさっきので分かったけど。9条じゃないのか?


そうです。答えは憲法第十三条です。


憲法十三条、なんか聞いたことがあるな。


聞いたことありますよね?


そう、玉三郎さんの三が入ってる。


そっちの三ですか。日本国憲法第十三条すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。こう書かれてあります。


そうそう、それそれ。


「公共の福祉に反しない限り 」と言う留保は入ってますけど、憲法第十三条は生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利は、 「立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする 」と書かれてます。


ほ~。


「最大の尊重 」 ですよ!


は~。


国家はどんな理由があろうとも、どんな逆境にあろうとも、どんな困難が待ち受けていても、国民の生命、自由そして幸福追求の権利を守るべし。何が何でも、国民の権利を保障せよ !こう書いてあるんです。


ほ~。


憲法は国家にそう命じてるんです。


あ、たしかに玉さんも、憲法とは、国家権力への命令である。と言ってたな。


実は、憲法第十三条はアメリカ独立宣言を下敷きにして書かれた条文なんですよ。アメリカ独立宣言では、生命、自由および幸福の追求。こう書かれてます。


そうだったのか~。それで、憲法9条草案と揉めてるんだな。


お~、金太郎そんなところで何してるんだ。


あら、大家さん、こんなところで、実はかくかくじかじかで、間抜けなものが足にひっかかった、財布か。ん、財布じゃないな。人間だ。財布と、人間を間違えるかふつう。って一人でしゃべってて。そして、かくかくじかじか。


お前、本当に間抜けだな。下を向いて歩いてるからそんなめにあうんだ。俺なんかふんぞり返って上みて歩いてるから、このあいだなんか九段の坂から転げ落ちたくらいだ。


いけないじゃないですか。


こうゆうときは大岡越前様へ相談だ。


へ?


落語といえば、大岡越前様。南方奉行所、南方奉行といえば大岡様。いつ行っても大岡様だ。


まだ、いますか?


ジェダイに頼んだら、フォースでなんとかしてくれる。そうなったら、大岡様が一番いいだろう。


コン、コン


(大岡様)玉川で入水自殺をしようとした玉三郎、同じく玉川で入水自殺をしようとした九蔵。そしてそれを見つけた左官の金太郎。そしてその大家。皆の者そろっておるか


は、は~


玉三郎に聞く、憲法の芯、憲法の核とも言うべき条文は第何条か?


はい、憲法第十三条にございます。


(金さん)え、え~。9条であんなにもしゃべってたじゃないですか?


(大家さん)金太郎、お奉行様の前だ、控えい


金さん、私は9条について語ったが、憲法の芯、憲法の核とも言うべき条文は十三条だと思うぞ。しかもそれは最初に言ったぞ。覚えてないのか?


え、え~。そうなの?


(大岡様)久蔵に聞く、おぬしは平和主義を主張しておられるが、一つだけ借問したい事がある。それは、もし、憲法九条と十三条が衝突した場合、どちらを優先させるのか。


たしかに。。そうですね。。玉三郎さんはどう思いますか?


それを言われたらそうだな。こういうのはどうだろう。自衛隊を 「憲法第十三条の軍隊」とするのは。だうだ、久蔵さん?


たしかにそうですね。即ち 「国民の基本的人権を守る為の軍隊」とするということですね。


ちょっと、ついていけないんだが、自衛隊を 「憲法第十三条の軍隊」とする。「国民の基本的人権を守る為の軍隊」とする。そうしたらどうなるんだ?


憲法第十三条は国家に対して、国民の生命 ・自由 ・幸福追求の権利を守る為に 「最大限の尊重 」をせよと命じています。 「国民の人権を守る為にこそ自衛隊は必要なのである」と、こう真正面から主張したらいいと思います。


お前、のみこみが本当にはやいな~。俺はついていくのでせい一杯だ。玉三郎さんはどう思う?


そうしたら、自衛隊が 「鬼っ子」の様に扱われる事はないでしょう。いや、そればかりか、今とは違って自衛隊はもっと国民から尊敬される存在になるかもしれません。どうですかね。大岡様。


(大岡様)あまたある中の一意見にはなったか。少しは納得したか。


納得しました。


私も納得しました。


それはそれで良いことではないか。そうか。それでは、これにて一件落着だ。それでは皆の者たちませい!。といいたいところだが、しらべにだいぶときをうつした。全部をとらせる。


全文をとらせる。憲法全てが大事だって言ってるの、それは勘弁してくれないかな~。


金太郎そうではない、食事を用意してくれるんだ。


なんだ、食事だったら、食事と言ってくれよ~。


(大岡様)これ、金太郎、その方たくさん食べるか?


大岡様、心配することはない、「おおくは食わねえ、たった一善だ」。(大岡越前のギャグ)


(大岡様)それは、古典落語の三方一両損の落げだな。今日はすき焼きをとらせるぞ。


このやろうお前、わけぎだろ~、いや、くじょうだろ~、わけぎだろ~、いや、くじょうだろ~。


おいおいおいおい、なんか厨房の方で揉めてるぞ、もうもめ事は勘弁してくれよ。おい、どうしたんだ。


こっちは、すき焼きのねぎで喧嘩してるんだ。


何?すき焼きのねぎをくじょうネギにするかで喧嘩してる?こっちは憲法の9条で揉めてたんだ。


参考文献:『憲法とは国家権力への国民からの命令である』小室直樹先生著。