「フランス人は独裁者がお好き」 平家物語1 ~ぽかぽか落語~
私は映画が好きでして、ビリー・ワイルダーという監督が好きなんです。有名な映画をあげると、「お熱いのがお好き」という映画。
ジャックレモンとトニーカーチスとうい俳優が、ギャングから逃れるために、全編女装をしての出演という、その中でマリリン・モンロー演ずるシュガーとの恋愛を描いたドタバタラブコメディーです。マリリン・モンローが、ププピ、ドウというのでも有名ですね。
時代が変わると共に、歴史の解釈などはずいぶん変わってるようで、歴史の解釈といいましても、今、何が本当だか判らなくなりまして、上杉謙信は女だったなんというものもありまして、やはり女じゃ面白くないですね。本など読んでも史実に近い方がいいですね。本当の事というのを知りたいものです。
ニュートンはリンゴの落ちたのを見て地球には引力があると発見したといいますが、あれはいろんな研究をした結果引力ということを発見出来たわけですけど、それを学会に発表して、有名になっちゃって、いろんな所で説明するのが面倒くさくなって、「リンゴの落ちたのを見て発見したんだ」とこうなったんですね。あれはどう考えても洒落で、りんごの落ちたのを見て引力を発見できるわけがないです。
ですから、歴史なんて本当はいい加減でして。
これから申し上げます「源平の争い」というと、これまた〝然り゛でして
吉川英治さんという人が書いた「新・平家物語」を参考に若き日の立川談志師匠が作った落語を今日やるわけですが。広島に行くと「にしき堂」という洋風和菓子店に作者の承諾を得て本作にちなんでの新・平家物語というお菓子がありますね。
〝祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰(しょうじゃひっすい)の理を表し、げに、驕るもの久しからず、ただ春の夜の夢の如き。猛き者もついには滅びぬ、ひとえに風の前の塵と同じ……〟
平家物語は開巻の「祇園精舎」の文章です。
「驕る平家は久しからず」
という。〝人間驕っちゃァいけない〟ということですね。
驕ってみたいものなのですけどね。私もどうでぃ自分の落語はと言ってみたいです。
YouTubeで自分の落語を聞いてみるととてもそんなこと言えない。
平家物語は源氏側の、つまり勝った者の言い草でして。
ですから、平清盛というとずいぶん悪くいわれまして、やれブクブク肥ってデブだ、汗ばんでる、何となくすけべったらしい、私の大学時代の同期の椿家お神みたいでして。なぜお神の名前を出したかというと、今回の落語が前編で。次回アップロードする後編に出てくるからなんですね。
平清盛はというと、独裁者のようなイメージもありますが、日本人ほど独裁者との相性があわない、とうより独裁者が現れない国はありませんね。
フランスなんかはことなりまして。
フランスは自分たちを自由 、平等 、兄弟愛を愛する共和主義者だと思ってまして 、自由 、平等 、兄弟愛、この3つを愛する共和主義者だと、フランス人は思ってるのですね。集団にまとまるのが好きなのに自分を個人主義者だと思ってます。
私の言っていること、なんだかわからないと思われるかもしれませんが。
まず、共和主義者、フランスの体制の共和制とは何なのか。皆さん分かりますかね? 「共和制」。共和制ローマなんかでよくきくと思います。あとはスターウォーズですかね。銀河共和国対、シス帝国。スターウォーズ観てる人は分かると思います。
アメリカやフランスなど大統領がいるのが共和制なのか。「民主制」や「君主制」と何が異なるのか。
「君主制」との違いは分かりますよね。君主=国王、もしくはそれをまとめる皇帝・エンペラーです。ようは、「共和制」の対義語が「君主制」です。こうするとわかりやすい。
では、「共和制」イコール「民主制」ではないのか。
この答えは、私も分からないんです。だったら、「自由 、平等 、兄弟愛を愛する」のが「共和制」と決めちゃいましょうか。
どうもいい加減ですよね。
実は、フランス革命は、外国人は別にして、フランス人だけで二百万人の死者を出してます。他多くの貴重な文化遺産の破壊もありました。しかし、フランス革命に大きな成果あったでしょうか。それは未曽有の偉大な革命であったと思いたいフランス人の(間)心理につながります。それはそれ以後二百年あまりのフランスの歴史を。ねじれカーブさせています。私の表現でいえば。
フランス人は個人主義者で、自分たちが共和国にいることを誇りに思うことをよく言います。これは、フランス革命を誇りに思いたい。これが原因なのではないでしょうか。
個人主義と集団主義の違い分かりますか?
この答えは、私も分からないんです。フランスの共和制は個人主義、日本は集団主義。こう考えたら分かりやすいですかね。
フランス人は、フランス革命へのこだわりがあるゆえに、自分たちの集団主義的な面を忘れているのです。
しかし、問題は 、歴史はそう示していないということです。
簡単にフランス革命以降の歴史を振り返ってみると。
1789年に革命が起こり 、92年に共和制を宣言 (これは第1共和制 ) 、その翌年にルイ16世とマリ ー ・アントワネットおうひが処刑される。これ、あんまり言いたくないんですけど、ギロチンを考案したのは、どうもこのルイ16世なんですね。一番はじめに使われたのもルイ16世。ルイ16世も「あ~~、一番最初は俺かよ~~」と思ったでしょうね。ギロチンの方も思ったでしょうね「一番最初はお前かよ~~」。その後、96年にはすでにナポレオンが登場 、1804年に皇帝になる (これが第1帝政 ) 。14年にナポレオンが退位しルイ18世が王位につく (これが第1王政復古 ) 、ナポレオンの15年の百日天下のあと、ふたたび追放 、ルイ18世が復位 (これは第2王政復古 ) 。30年に王政に対する不満から共和主義者が率先して革命を起こす、しかし共和制を阻止しルイ ・フィリップが即位 (これが七月王政 ) 。しかし 、48年にふたたび革命が起こり 、今度は共和制が実現 (これは第2共和制)しかし 、3年後には共和派が敗れ 、52年にナポレオン3世が皇帝となる (これは第2帝政 ) 。ナポレオン3世は普仏戦争に敗れ 、70年に共和制に戻る (これは第3共和制) 、これは1940年の対独戦敗北までつづく 、そして、この70年間に百回を越える内閣交替があり 、政情は不安定 。40年から45年までのヴィシー政権と、そのあとの臨時政府のあと 、47年に第4共和制が成立 、58年までつづく 、しかしこのあいだも小党分立で政情は不安定。それに反し 、59年に大統領の権限を大幅に強化して成立したドゴールの第5共和制は久しぶりの安定政権。ドゴール大統領のあとはポンピドゥ 、
ジスカール ・デスタン 、
ジスカ ール ・デスタンについては、どのように人気があったか、こんなジョークがありまして。
デスタンを乗せた飛行機が遭難した。パラシュートは2つだけ。状況はデスタンとパイロットを合わせて、乗り組み員計3名。
パイロットが言います。
大統領。あなたが死んでしまったらフランスも死んでしまう。どうぞこのパラシュートを使ってください。
え、でも残りのでもどちらか一人が
大丈夫です。心配しないでください。
そうか。分かった。
デスタンは飛び降りました。
パイロットが言います。
それでは、このパラシュートをあなたが使ってください。
え、でも機長は?
大丈夫です。
大丈夫じゃないでしょう。パラシュートは2つだけですよね。
心配ありません。デスタンが持っていったのはリュックサックです。
話をすすめてもよろしいでしょうか。
デスタンのあと、ミッテランを経てシラク大統領、そして現在に至る。この歴史を見れば、フランス国民は決して安定し一貫した共和主義者とは言えない 。大きな犠牲を払って第1共和制を成立させた10余りあとにはナポレオンを皇帝に迎える 。ナポレオンは1796年にイタリア遠征を指揮し 、1815年にワーテルローの戦いに敗れるまでの20年間で、革命の成果である共和制をぶっ壊し、軍事独裁制をしき 、植民地を失い、戦費を得るためにルイジアナをアメリカに譲渡、これは、諸説あって、イギリスがカナダを領有したので、イギリスからルイジアナを守れないだろうと戦略的判断からナポレオンは売却したともいわれてますね。ナポレオンは全欧州を支配したものの 、無謀な作戦、モスクワ遠征などを強行して惨敗し 、敵軍に与えた損害は別にして自軍だけで百万人を戦死に追い込み 、結局 、祖国フランスをめちゃくちゃにしてしまった。これは 、1931年の満州事変から45年の敗戦までの15年間に日本軍部がやったことと似ていて、日本という国家は独裁者が出にくい体質であるため 、フランスのようにナポレオンという1人の人間ではなく 、複数の人間がかかわっている。大きな違いは 、ナポレオンはフランスにおいて、すたれることなく依然として崇拝の対象であるが、逆に日本軍部は日本において一部の者を除いて非難の対象である。実際 、ナポレオンがぼつらくしたあとでも 、おいのナポレオン3世が 、実際には伯父に及びもつかない、ぼんような人物であったにもかかわらず 、ナポレオンへの国民の追憶のおかげで大統領に選ばれました。
要は、頻繁に、独裁が入っているということです。
いや~、このフランスのねじれカーブの歴史、フランス国民は疲れましたね~。
しゃべってる私も疲れました~~。
フランス史上重要人物番付で 、一位はドゴール 、二位はカール大帝、フランク王国を最大領土にした皇帝ですね。ゲルマン民族、ローマ帝国、キリスト教、3つのキーワードの
交差点となる重要な人物です。三位はナポレオン 、四位はジャンヌ ・ダルク。
「ナポレオン治世をフランスの誇りと思うか 」という質問への答えでは 、 「誇りだ 」が四六 % 、 「誇りとする理由なし 」三九 % 、 「わからない 」一五 %。仮に、日本人に 「軍国主義時代を日本の誇りと思うか 」という質問をしたとして 、四六 %もの人が 「誇りである」と答えるでしょうか。
いわば 、フランス人はタテマエとして共和主義者でホンネは、フランス人は独裁者がお好き。
シラク大統領が核実験を強行したがったのは心理的理由からでしかなく。フランス国民は強い独裁的な大統領が好き 。
田中真紀子さんは南太平洋ではなくパリで核実験をすればよいと皮肉を言いましたね。
再び【角実権】を握りたかったのですかね。田中真紀子さんの、【角実権】。ダジャレです。
日本人はそうではなく、平清盛が悪くいわれるのもそうゆところがあるのですかね。判官びいきということばがありまして。日本人は弱いものが好きなんですよ。源義経や、忠臣蔵の大石倉之助は人気がある。
さっきお伝えしたとおり平家物語は勝者の記録、勝ったものの記録、源氏側の記録ですから。悪く書かれます。それでは、はたして、本当に、平清盛は悪く言われる必要があるのか。
イヤイヤさにあらず、血も涙も情けもある、素晴らしい武将であり、「改新の意気に燃えた熱血漢」だ。清盛が如何に革新の意気をもっていたかの証拠に、「比叡山の荒法師と、賀茂川の水と、賽の目だけは、言うことは利かぬ」と時の天皇が言った。(間)賽の目って、天皇もギャンブルやってたんですね。そえが今は天皇賞。そのタブーの一つの比叡山の荒法師が何ぞてぇと御輿ィ担いで暴れ回る。その坊主の御輿に、弓矢ぶち込んじゃうという、タブーなんざぁ糞喰らえの革命児でして。凄いことをやったものでして。
一方、血も、涙も、情けもある、素晴らしい侍だったのでしょう。
「待賢門の夜戦」で敗れた敵方の大将、源義朝の三男で、当時十四歳の頼朝の命を、自分の伜、小松内府重盛の嘆願によって許したんですね。こんなことは当時考えられないんです。「待賢門の夜戦」というと、源氏側の平家に対するクーデターでして。これが失敗したら、さからった奴は全員首ィ斬っちゃわないといけないんですね。そうゆうルールだったんです。
ジンギスカンなんか、さからったやつの首は、全部きっちゃった。はなから家来になるといったやつはおいといたが、そうでないのは皆殺し。
女はたすけてやって、自分の家来と結婚させて、大モンゴル帝国をつくった。当時知られていた世界の地図の5分の4をしめっちゃった。当時知られていた世界の地図の5分の4をしめっちゃった。それなのに、ジンギスカン、今残ってるのは、鍋だけ。あおき狼もはかない!
そして、〝この頼朝をいかしておくと〟生き方は二つでして。一つは武士の子として生きるなら、〝親の敵を討たねばならない〟。もう一つの生き方は坊主になってそーっと世の中を暮らせばいい。坊主になれば、敵討ちをしなくていいという。
つまり、50パーセントの危険を含めて、頼朝の命を救ったわけですから、清盛にはよっぽどの度胸があたのでしょう。
弥兵衛宗清(やひょうえむねきよ)という自分の家来を伴って伊豆へにがしてやりました。
一方、義朝の二号の常盤御前に惚れちゃいまして。
ところが、常盤御前には三人の子供がいまして、「今若・乙若・牛若」。実は長男に若(モザイク音)ワーというのがいたのですが弟と喧嘩していなくなりました。冗談ですよ。
〝子供たちの命を助けてくれれば、清盛さん、おまえさんの言うことを聞くわよ〟
なんと言ったといいますが。
これを源氏側は、平家物語で「操を捨てて操を立てると」。よくは分かりませんが、大義(たいぎ)の前の小義には目を瞑るという事ですかね。きざで嫌味に書いてますね。権力類稀な清盛なんですから女なんぞいくらでも手に入ったでしょう。週刊誌だって何もないんですから、(モザイク音)ワーと(モザイク音)ワーみたいにならないんですから。
当時、(モザイク音)ワーの事件が何で分かったかというと、二人でホテルに入る際の、男性側の背中に、7って書いてあったからという。
清盛の家来だって言いますよ。
「よしなよ大将、あんな女。そりゃ器量はいいかもしれないよ。でも三人子供生んでんだよ…楽しくないでしょう」
「たわけたことを言うではない。俺は彼女に恋をしてるんだ、愛があるんだ」と言ったんでしょうそうでなければそうしげくは通わないです。
強い男にほれるのは女の生理みたいなものですから。
また、世の中平安の名残で徳川の時代と違って、男女の仲もそれほど堅苦しくなかった。
常盤御前も清盛の坊主っ振りなんかに惚れちゃって、
「清ちゃんの頭カッコいいヨォ。その頭でグリグリやられると、堪んなくなっちゃう……。ね~今晩泊まってって~」
かなんか言ってましたよ、土佐節にいい文句があります。
坊さん抱いて寝てみりゃ可愛いものよ どこが尻やら頭やら
ってね。うまい事言ったものでして。
で、一方、伊豆にながされた頼朝は場所が伊豆ですから、旅館の番頭なんぞになってたら良かったのですが、〝いつか平家を潰さねばならぬ〟俺は侍の子として生きる。ほ~ら、50パーセントの危険のほうに育っちゃたんですね。で、自分一人ではできないですから。北条一家を自分のスポンサーにしようとしまして、本当は妹を口説いたのですが政子にうま~く丸め込まれて所帯をもちました。
さぁ、今若、乙若はどうなったかは分からないんですけれど〝牛若丸をどうしよう〟ということになりまして」。
「坊や、大きくなったら何になるの」
「清盛の首っ玉ねじ切っちゃう」
「この野郎、大変なガキだな、こういうのはおおきくなるとろくなことしないから、いっそのこと、坊主にしちまおう」
というので、頭を丸めて鞍馬山へ放り込んじゃいました。
ところがドッコイ、鞍馬山には天狗が居まして、「鞍馬天狗」というのですが。
誰かシンボルがいないと、物事がうまくいかないというので、「牛若丸をかしらにしようとしまして」、つまり「源氏の再興」をしようと思うわけですから、「鞍馬八流」の極意は申すまでもなく、民法、憲法、自治、経済、天文、地理、おこうこの漬け方から、喧嘩の仲裁、ゴルフ、ボウリング、ビリヤード、麻雀から、コイコイまで覚えさせまして。
あとはクーデターだけを覚えればいいというので…イスラエルあたりに放り込みましてね。
義経今日も今日とて、天狗に貰った一本歯の下駄ァ履いて、横笛の音を響かせながら、通りかかったのは、かの有名な五条ブリッジです。月はこうこうとして加茂川を照らして、いい心持ちになっていると向こうのほうからがらの大きな奴が、やってきます。顔に白いきれぇ巻き付けて、長い薙刀持って、木槌背負って、(のこぎり)鋸もって。「大工の出稼ぎ」みたいな格好してまして。逃げようとすると、
「お若ぇの、お待ちなせえ」
「待てとおとどめなされしは」
「この野郎薄化粧をしてやがる。おかまか?」
「どんだけ~?」
「お前は誰だ?」
「牛若丸ってんだ」
「牛なら、゛ギュウ゛という目に遭わせるぞ…。俺はな、武蔵坊の弁慶てんだ、刀のコレクションをしていま、九百九十九本で。もう一本で千本だ。おいてくか?」
「嫌だ。断る!駄目、NO、キャンセル」
「オヤ、この野郎、断るならキャンセル料を出せ!嫌なら……、いいか、腕ずくででも盗るから、覚悟しろよ!」
弁慶、薙刀ァ振るっておそいかかる。牛若丸〝ヒラリ〟体を変わすと、欄干の上へ跳ね上がる、
「弁ちゃん、こっちこっち」
京の橋の上、大の男の弁慶になめた事したものですから、弁慶怒りましたね。
また斬りかかってきたら、相手の体が変わった、飛んだ。弾みを食らって、弁慶「欄干」へ頭がぶつかって、大きなコブが出来て、弁慶「ランカン」になって怒ったっていいますが……、このときにできたコブはコブ弁慶になりまして…、分からない人には分からないでしょう。上方落語なんです。
さながら花に戯れる胡蝶の如き、〝前に払えば後ろに飛ぶ〟〝右に斬れば左に逃げる〟。〝丁〟と打つと、〝半〟といっちゃうという塩梅で、完全に翻弄されて、三分二十八秒、テクニカルノックアウト。
家来の第一号になりまして、その後に出来たのが、「亀井・片岡・伊勢・駿河」という、後の義経四天王です。
それで、死の商人といわれた金売りの吉次(きちじ)というのに連れられて、奥州の藤原秀衡の所に逃げました。秀衡はこいつをかくまっておくと、いつか源平は争うだろうとにらんでまして、勝った方も負けた方も、ともに戦力や財力は落ちるから、そこを一気に潰しちまおうという考えで。つまり終戦間際のソビエトのような態度にでまして。(モザイク音)ワーをかえせ~~!
さあ、秀衡は、かくまったはいいですけど、源氏の武士は皆散り散り。もう平家の天下、平大納言時忠(へいだいなごんときただをして) 清盛の弟をして
「平家に非ざる者は人に非ず」
といった。平家でないものは人間でない~~と。言ったんです。私も言ってみたいですね~。
「サラリーマンでないものは社会人に非ず」
って。意味がわからない~~ですね。
昔は貧富の差が激しかったから、そういうこと言えたんですね。
清少名言なんぞは
「げせんの庭に月宿るを口おし」
貧乏人の庭に月が出るのがしゃくにさわる~~というんですね。
平家一門は威張りくさりまして、御大の清盛は何をしたかというともっぱら観光事業に精を出しました。「安芸の宮島」を再建したり。神戸からちょっと入った福原へ都を移したりしているうちにやっこさん「火の病」に取りつかれまて。全身火の如く熱い、という奇病です。水をぶっかけたらじゅっ、わ~、なんだこりゃ、と沸騰するくらいの熱さだったといいますが。
落ちてくる夕日を招き返すぐらいの剛気な清盛も、熱の病には勝てませんでした。
これが「ニューヨークタイムズ」に載りまして、
あら、私このお方が好き
どうしたんですか、ミセス、マリリンモンロー
私、清盛さんが好き
どうしてですか
「お熱いのがお好き」だからよ。
参考文献:『歴史を精神分析する (中公文庫)』 岸田秀 先生著