「真理」 哲学1 ~ぽかぽか落語~
(こん。こん。)
ただいまより、第1回、あの世総会を開催します。総理大臣、エンマ大王くん。
いや、みなのものに集まってもらったのは他でもない。あ~哲学についてあの世の意見をまとめたい。
まずは1回目。「真理」について取り扱う。誰かよい考えがあるものがいたら、
野党、与党、無所属、れいわ新撰組、NHKから国民を守る党。なんでもかまわん、意見を述べてもらいたい。
総理大臣
見る目嗅ぐ鼻くん
恐れながら申し上げます。人類がどこから真理を考えるようになったか歴史について知る必要があると思います。歴史の書をひもといて、バラバラにしたところ、昔は神話による説明ですべてをすましておりました。例えば、カミナリについて「神様が浮気をして、奥さんを怒らせた」。こういう神話もあります。
お~、神も、人類も、閻魔も同じであるか~。
しかし、狩猟から農耕へ、村を町へ、町を都市へ。都市を都市国家ポリスへ、活動範囲が広がりますと、遠い地方の別の都市国家ポリスと交わり「それぞれの国で、神話の内容が違う~。」こういう、衝撃の事実、神話への確信が崩壊する事態にみまわれました。
あ~、なるほど、ミニスカポリスは好きだがな。あ~。キャッツアイも好きだ。たまらんな、あのお尻が。いやいや、そんなことを話してる場合ではない。ということは、時代は異なるがギリシャ神話では混沌としたカオスから、ガイアとウラノスができ。その子孫にゼウスがいる。ギリシャ人が奈良時代に日本にいき、イザナギとイザナミについて、ガイアとウラノスと名前の読み方が異なるな~とも思いつつ。一番初めに産んだのが、今でゆう淡路島と知った日には、衝撃を覚え、子孫の天照大御神が、いわと隠れをして、世の中が暗くなったので、みんなが困り。お笑いで、なんとか天照大御神を出させたことを知ると、今まで信じていたギリシャ神話が崩壊するということか~。
ん~、ん~? 。とにかく、古代は神話が絶対でした。異なる文化と接触し、異なる神話がある。これは衝撃でしたでしょう。
そうなると、絶対だと思われていた神話に疑問をいだくな。そうすると、絶対的なことというのは何になるのか。
総理大臣。
プロタゴラスくん。
コップの中に、閻魔様にとって冷たい水が入っています。では、このコップには冷たい水が入っていると断言してもよろしいでしょうか。
お~、それは断言できるのではないか。
では、マイナス千℃の氷の地獄にいる青鬼がこの水に手を入れたらどうですか?
お~、やけどをするな。マイナス千℃のところにいるのに、その水に手を入れると、やけどどころか。手がなくなるのではないか。あ~足のない幽霊はいるが。手のない鬼というのは仕事にならんな。
こんなふうに。絶対に冷たいと決めることはできません。閻魔様、青鬼、それぞれ 相対的に冷たい、温かいというのは決まります。しゃばで私は「人間は万物の尺度であると」。こう申しました。。相対主義を応用して、価値の基準をずらせば、弱い村を滅ぼして奴隷として連れ去ったとしても、文明から取り残されたかわいそうな未開人を、そうめいな文明人が救ってやったと、素晴らしいことのように見せかけることもできますな。
お~、それは、何にでも応用ができるな。閻魔の全てを正義にみせる。私の講師をしてくれないか。
な。プロタゴラス。三途の川の軍艦を買えるほどの報酬をとらせるぞ。
総理大臣。
ソクラテスくん。
え~、今、正義って言ったけど、正義って何だ?
それは、みんなの幸せのことだ。
じゃあ、幸せって何だ?
貢献をすることだ。
貢献って何だ?
つくすことだ
つくすってなんだ?
快適にすることだ。
快適にすることと、幸せは同じなのか?
即答できんな。
(見る目嗅ぐ鼻)質問をし続ける限りは攻める側は安全ですが、質問される側は矛盾しないようにしなければなりませんので、いつかは質問側が有利になるようなしかけになってますね。
なるほど。ただ、こんなのには報酬はやれんな。
私は真理について何も知らん。これから真理について一緒に考えるよう、道行く赤鬼、青鬼にに話かけたいと思う。
総理大臣
プラトンくん
ソクラテス先生が自分の無知を告白したのは、無知の知という言葉で知られております。
お~、無知の知。無知なのに知であふれておるか。血の池が作れそうだ。
閻魔様~、そっちの血ではございません~。
ソクラテスは、私の無知をあばいて、先ほど私に恥をかかせた、若い鬼を堕落させた罪でもって死刑に処する
それは、あまりにもとっぴょうしな。
私は自分が心から、ほんとうによいと思って発言をしたのだ。肉体が危険だからという理由でそれは撤回できん。状況によって言うことが変わるなど、相対主義は真理ではない。私はこの毒杯を一気に飲み干す。
閻魔様あまりにも酷すぎます。
心配するではない、あれは、血の池で作った水だ。は、は、は~。死にはしない。もう死んでるがな~。これ以上は死なない。ただ、この瞬間に、命をかけるに値する真理を追究する強い生き方をみた。誰か真理を追究するものはおるか。
総理大臣
デカルトくん
お~デカルトとは誰だ。
閻魔様、X軸、Y軸の二次元の座標系、あれはデカルト座標といって、彼は数学者であり、哲学者でもあります。
あ~、数学は苦手だ~。
私は、誰もが正しいと認めざるをえない確実なことをまず、第一公理と設定し、そこから論理的な手続きで哲学体系をつくり出していくべきと考えます。
お~、第一公理とか、難しい言葉は嫌いである~。
閻魔様、そういわずに話を聞きましょう。
私は確実に正しいことを探すのではなく、疑っても疑っても、疑いきれないものを探す必要があると思います。
私はまず、閻魔大王を疑いました。
あ~、よしてくれ~。
目の前に閻魔大王がいる。それは、はたして真実だろうか。夢ではないのか。
やめてくれ~、気持ち悪い~。
ある日、閻魔大王を疑っていると。好きになりました。
おえ~
閻魔様を疑って、他すべてを疑うと、突然、てんけいのようにひらめきました。この世や、あの世の、すべてを、疑っても、それを疑ってる私の存在は、疑えないのではないか。たとえ、疑ってる私の存在を疑っても、疑ってる私がいることは真実ではないのか。
やめてくれ~、だから数学者の言ってることは分かりにくい、具合が悪くなる。落語の「抱かれてるのは確かに俺だけど、抱いてる俺は誰だろう」このほうが面白いぞ。
閻魔様、どんな疑いにも耐えることができるのは、疑ってる自分自身が存在するということです。
お~、まだ分かりやすくなったな。
これはデカルトの「我思う、ゆえに我あり」という言葉で有名です。
ほ~、お前はそう思うか。「ユー思う、ゆえにユーあり」か。
それはジャニーさんですな。
中居くんに、ユー、ダイ、と言ったことがあるらしいな。詳しくはネットで調べてくれ。わしは一度ジャニーに会ってみたい。楽しみだ。それでは、第一公理の次を言ってくれ。
私の存在は確実だから、私が認識する、ものも確実に存在します。
ものが存在する。お~急に、疑うのをやめてしまったな。
なぜ、私の認識が正しいか。それは神様が私をつくってくれたからです。
コン
地獄行きだ。
え~、閻魔様、それはお控えください。
分かった、分かった。神の名前を出すからついつい。それにしても神の存在も疑ってもいいと思うが。デカルトは最初の一歩は凄まじく素晴らしいが、その後の展開はあさはかのように思うな。
総理大臣
ヒュームくん
私とは何でしょう。私という存在はさまざまな知覚の集まりにすぎないのではないでしょうか。私とは、あるときは快適で、あるときは痛いといった、経験が継続することによって生じている感覚にすぎないのではないでしょうか。
ほ~。つまり、私の正体とは、経験にすぎないとのがヒュームの主張か。経験というのは痴漢のあつまりか。痴漢とはハレンチであるな。
痴漢ではございません。私が話してるのは知覚の集まりです。
痴漢の集まり。それは満員電車か。
いいかげんにしてください~
それにしても、痴漢をする人間の真理は分からなん。だから、女性専用車両があるんだ。はなしはそれるが、知覚の集まりについて説明をしてくれ。
これはイギリス経験論です。全ては経験によって形づくられているわけです。デカルトはものも確実に存在すると話しました。しかし、ものが現実と一致しているかどうかは何の保証もありません。たまたま経験したからかもしれないのです。
少し分かりにくいが続けてくれ
イギリス経験論では、火が熱いというのも同じです。いたずら好きな妖精が、火にさわったときに、熱さを与えているかもしれません。妖精がいなくなると、火は熱くないかもしれません。人類が火にさわって百億回やけどをしたからといって、100憶1回目も同じことが起こる保証はどこにもありません。経験上の思い込みを絶対化しているにすぎないのです。
そうか。火が熱いというのは、火を見るよりも明らかのように思うがな。。
うまいこといいますな。
たまたま経験したからということか。その理由でいけば、我思うというのも、たまたま経験したということになるな。ものというのも、たまたま経験したからということになる。
そうです。人間は、不完全な存在だから、完全である神を経験できないと言われています。では、なぜ人間は神を知っているのでしょうか。神という概念は複合概念として知っているからです。
なんだ、その複合概念とは。
例えば、シャバで鬼を経験することはできません。しかし鬼に、つのが生えていることを思い浮かべることができます。また、鬼という言葉を知らなくても、鬼というものを思いつく可能性はあります。それはこわい顔、そして動物に、つのが生えているのを、過去に見て知っているからです。シャバの人にとって、鬼というのは、こわい顔と、つのを組み合わせた複合概念にすぎないのです。
なるほど。それで発声がよくなり、声が大きくなるのか。
それは~、腹式呼吸です~。私が話したのは複合概念の話です。例えば、ペガサスという言葉を知らなくても、羽が生えた馬という生き物は想像することができるでしょう。馬を見たという経験。鳥の羽を見た経験。そこからできたのがペガサス。複合概念です。神という概念は複合概念として知っています。
そうか。イギリス経験論によるヒュームの疑いから、何か見つけることはできるか。
総理大臣
カントくん
ヒュームさんの主張は、すべては人間が経験から作り出したものにすぎないという内容でした。
そうだ。
それでは、どうして数学や論理学など、多くの通じ合える学問が存在するのでしょうか。
そうだな。
経験の内容はおのおのですが。経験の受け取り方は、万物共通の一定の形式があるのではないでしょうか。人間という種にとっての真理というものをつくり出せるのではないでしょうか。みんなが「そうだ」と合意できる概念づくりをできるのではないでしょうか。
みんなが美味しいと思うそうめんをつくるか。
違います~。そうめんではありません~。みんながそうだと思う概念づくりです。 つまり、生物Aにとっては真理A、生物Bにとっては真理B、生物Cにとっては真理Cがあるのではないでしょうか。
それでは、どうすればほんとうの世界の姿をみることができるのか。
私は、ほんとうの世界の姿をみることは不可能だと思います。私は、シャバで「人間はモノ自体には到達できない。」こう言いました。
「モノ自体には到達できない」。ものとはトルネード投法かーー?
それはノモです~。
では、デカルトはものは確実に存在するといったが。ヒュームはそれを否定し、イギリス経験論を主張した。そして、お前+カントはほんとうの世界の姿をみることはできないというのか。
そうです。知りえないほんとうの世界は忘れてしまって、人間の形式に変換された世界だけに限定して研究を進めるべきです。「真理は人間によって規定されるのです」。真理とは人間よりも上の存在という考えをやめ、人知を超えた真理を求めるロマン的な方向をやめるのです。現実的な方向へ向けるべきです。
そうか。それでは、人間にとっての真理で考えてみるか。どうすれば人間にとっての真理にたどりつくことができるか。
総理大臣
ヘーゲルくん
弁証法という手法で形づくることができます。
おしっこをするのか
便所ではありません~。弁証法です~。
そうか、説明をしてくれ。
ある人があそこに丸いものがあるといいます。しかし別の人は四角いものがあるといいます。そのときに、対立を恐れず、議論すると、円柱だったとわかることがあります。上や下から見たら丸、横から見たら四角、議論することで円柱だとわかることがある。議論を繰り返していくことによって、無限の真理に到達することができます。それが弁証法です。
総理大臣
キルケゴールくん
ヘーゲルさんの哲学ではいつ真理を見つけるかという、肝心の部分について明らかではありません。いつ、だれがみつけれるか分からない弁証法は人間にとって何の役にもたちません。私がそのために生き、そのために死ぬことができるような真理。そういう自身の真理。個人が納得できる真理を見つけるべきです。
ほ~ヘーゲルの弁証法では真理とはいえないということか。キルケゴールは個人の真理を大切にするか。
総理大臣
サルトルくん
待ってるだけではつまらないですぞ。
お~、サン=ジュルマン通りの法王ではないか。話してくれ。
究極の真理を求める歴史の進展を、私たち自身の手で進める。人生をかけようではありませんか。
私もキルケゴールと同意見で、ヘーゲルの弁証法という他人事のように捉えないで、自分から積極的に参加してはどうでしょうか。
ほ~、続けてくれ。
人間は自由の刑に処されてます。
人間は自分の毛を処理するか。
違います~。自分の毛を処理するではありません~。人間は自由の刑に処されるです。何を選んでいいかわからない世界に、頼んだわけでもないのに突然放り込まれ、自由を強制され、正しい価値観を誰も教えてくれない。失敗や間違いにおびえ。不安の中で、正しいかどうかもわからない。しかし決断して生きていかなければならない。その決断は絶対的に自由である。人間は自由に呪われています。
ほ~、悲観的であるな。
いえいえ、むしろ、だからこそ、歴史に参加すべきです。何一つ選ばずに人生を消費して生きていくよりは、間違っているかもしれないリスクを背負って何かを選んで生きた方が、よっぽどマシです。
総理大臣
レヴィ=ストロースくん
ちょっと、まってください!
お~、なんだ。
サン=ジュルマン通りの法王の言う、目指すべき歴史なんてほんとうにあるのですか?
ほ~、話してみ
私は、人類学の研究者でした。遠くアマゾンで未開人と呼ばれる人々とも生活をしました。一緒に暮らしてみると、西洋とは異なる、驚くほど合理的で深遠な社会システムがありました。弁証法のヘーゲルさんや。リスクを背負ってでも何かを選んでいく方がマシというサルトルさんの哲学。それはただの傲慢な「思い込み」ではないでしょうか?
そうか、確かにアマゾンは合理的に商品を配達してくれるな。
通信販売のアマゾンではありません~。
そうかそうか。たしかに、世界にはさまざまな文化、価値観を持った社会が多数存在する。目指すべき唯一のものというのはないのかもしれないな。それに、ヘーゲルの弁証法や、サン=ジュルマン通りの法王のいうリスクを背負ってでも何かを選んでいく、目指すべき歴史があると、理性的にすすめても、誰もが望んでなかったのが第二次世界大戦であるな。レヴィ=ストロースのいうとおり、西洋だけで考えてきた哲学というのが真理ではないのかもしれない。
総理大臣
デューイくん
理性が万能でないとなり、実際の生活に役に立つかを考える、実用主義、プラグマティズムを私は考えます。
チラリズムか?
違います~。プラグマティズムです。
しかし、実用主義とは、真理からはなれて、いってるような気がするな。だが、続きを述べてもらいたい。
たとえば、人を殺したらなぜ悪いのか。これははるか昔から考えられておりました。これは、問題の設定の仕方が悪いのです。人を殺したら悪い、この決め事は何の役に立つのか。こう問題を設定すれば、この決め事がなかった場合に、いつ他社から殺されるかわからない状態になり、心配しながら過ごす日々になります。だから人を殺したらいけない。それが便利であるからです。それが道徳の正体です。みんなの生活の役に立つ道具。私はこれを道具主義と呼んでいます。心理の一つであると思います。
ほ~、コウモリのような考え方だな。
それは~、洞窟主義です~。私が話したのは道具主義です~。
総理大臣
デリダくん
私は話し手中心主義批判をします。
なんだ、その話し手中心主義批判は。はなしかの批判はしないでくれよ~。かわいそうだから~。
例えば、本について、著者の意図なんて無視して、自分の解釈に従って読み直してしまうことです。
ほ~
我々は、話し手の意図は、正解に達しなくてはならない、そういう固定観念を持っています。しかし、相手が自分の意図を正しく理解したということはどうやってわかるのでしょうか。話し手ではなく、読み手中心主義へ、他社による再解釈を許容する新しい価値観の可能性を提示します。
読み手中心主義とは。詠み人知らずということではないということか
閻魔様~、無理やりボケなくても~。
デューイの道具主義や、デリダの読み手中心主義で、それぞれ実用的な考え方を選んでいくというのも一つの手であろう、しかし、ソクラテスが命をかけてたどり着こうとした真理とは、なんだか違うような気がするな。真理とは何かをもう一度考え直す必要がある気がするな。
総理大臣
レヴィナスくん。
私はユダヤ人で、虐殺により明日をも知れない日々をおくりました。そのとき、明日、突然私がいなくなり、何事もなかったかのように機能していく、私はこの世界が恐ろしくなりました。私はその恐怖をイリヤと名付けました。
ほ~、北斗の拳のヒロインだな。
それはユリアです~。私が感じた恐怖はイリヤです。自分が死んでもなお存在し続ける世界。私はそこに絶対的な他者を感じました。自分に対して無関心にそこにあり、かつ決して理解できない不快な何か。囲いを作っても、必ずその囲いの外側に存在し、理解できない何かが存在する。それが他者です。
総理大臣
サルトルくん
私は、リスクを背負って何かを選んでいく方がマシ、目指すべき歴史があるとはなしましたが、私は他社とは地獄であると考えます。
そうか。それでは、ソクラテスから始まった哲学の絶対的真理の探究は、他社という異形なものに、なすすべもなく敗北してしまいそうだな。
総理大臣
レヴィナスくん
私はユダヤ人の虐殺で絶対的な他社を感じました。私は、他社とは私が殺したいと意欲しうる唯一のものであると考えます。
総理大臣
見る目嗅ぐ鼻くん
おう、お前か。
恐れながら申し上げます。他社とは、己という存在を自己完結の独りの世界から救い出してくれる唯一の希望であり、無限の可能性であると思います。
お~、急に哲学者のようなことを言い始めたな。真理の定義とは、理解不能な他社の中に見出す新しい可能性なのではないか。ということだな。
よし、本日は閉会だ。真理の定義は「理解不能な他社の中に見出す新しい可能性」と決めた。
あ~、簡単に決まっちゃった~。真理とは、「他社の中に見出す可能性」ですか。こんなに簡単に決めていいのですか~。
粗忽長屋という落語を知っているから理解をできた。真理とは「他社の中に見出す可能性」真理とは「理解不能な他社の中に見出す新しい可能性」これでいいではないか。ソクラテスの問題提起から、みな、よく意見をだしてくれた。それより、私は真理について、立川談志の意見も聞きたいぞ。
閻魔大王様は立川談志と気が合いますからね。立川談志も「神様はしゃれがつうじない、閻魔はしゃれがわかる」なんて、閻魔様がお喜びになるようなことを話しましたからね。
お~、談志は面白いことをいうわい。自分の師匠である人間国宝の柳家小さんのことを、「神様と対等」と言ったり。このあいだは、神のとこに言って、神が大切そうに何か持っているのを見て、「爆笑問題の小さいほうのかたたまではないか」とつきつめていたからな、あれは本当に笑った。
あれは、面白かったですね。
それでは、第二回は国家論だ。それまでに談志を探してまいれ。
それにしても、真理とは英語でなんというんだ
え~、和英辞書で調べてみますと、トウルースですね。
トウルース。本当か。
『史上最高の哲学入門』飲茶著