中国原論

「中国でいちばん大切なのは人間関係である」

とは、

誰もが口をそろえて言う。


中国人理解の鍵は「帮(ほう)」にあり。


血を分けた兄弟でもない

劉備、関羽、張飛の

桃園で義盟は

実の兄弟なんかと

桁ちがいに固い

契の義兄弟となって

3人組の帮(ほう)が成立する。


曹操により

命を助けられただけではなく

呂布から奪った天下第一の馬、

1日に千里を行くという

赤兎馬を

敵将関羽にあたえた。


命を助けられた上に

破格の待遇をし、

度重なる恩賞を与えてくれた。


曹操こそ、

関羽を知る者の1人である。


関羽を天下の英雄として

遇してくれた。

その恩義たるや、

きわめて重いことは言うまでも。


とある日、

突然、劉備の居所が知れた。

そうすると、関羽は、

少しの躊躇もなく、

飄然として曹操の下から

立ち去って行く。


曹操は、関羽の態度を見て、

これこそ義士であると感嘆した。


つまり恩義よりも3人帮(ほう)の方が重いのだ。

なお、赤壁の戦いで

曹操を関羽は軍律を破り曹操を助けた。

「恩義の貸借」という

相対規範がここに見えるので、

帮(ほう)外でも無秩序ではない。


「泣いて馬謖を斬る」という

成句まで残した軍律厳正を

とくに重んずる諸葛孔明も、

斬ろうとしたが引き下げた、

関羽は劉備との3人帮(ほう)があるからだ。


「三顧の礼をとる」という成語がある。

劉備は諸葛孔明を3度訪れて

軍師に迎えた、

3度訪れるとは、

たいへん厚い礼である。


身分の低い孔明は、

身分の高い劉備に3回も訪問された。


最高の礼をつくされたから、

全力をあげて献身しなければならない。


2人帮(ほう)が形成されるのである。

この2人帮(ほう)たるや

桃園の義盟の3人帮(ほう)にも劣らないもので、

劉備にとって孔明は

「わしに孔明があるのは、魚に水があるようなものだ」

とまで言っている。


「君臣水魚」という成句は

これを出典としている。


孔明はこれに感激して、

劉備が生きている間は勿論、

死んだ後も後主劉禅を立てて、

中原を恢復して

漢朝を復興すべく努力するのである。


これぞ、古(いにしえ)を

鏡とすることによって得られた

中国的結論の1つである。


小室直樹 大先生『小室直樹の中国原論』