フランス第三共和制
60億といえば1871年ごろには、
天文学的数字。
ガンベッタは、
もう1度、
目をまわしそうになった。
そこでお付きの
シャヌワール男爵が
気付けに
ブランデーをのませようとした。
なんとそれが"ナポレオン"。
ガンベッタ、
ナポレオンだけは
もう懲りごりと
本当に気絶した。
普仏戦争はナポレオン三世が
起こした戦争である。
これを打倒し追放した革命政権に
帝政フランスの尻拭いを
してやる義務なんか少しもない。
不愉快きわまりない和平交渉に入り
三斗の酢よりも飲みにくい
講和条約を呑ん理由は
ひとえに歴史的正統性を
獲得するためであった。
第三共和国は、
パリ街頭のバリケードの中から
誕生したのであった。
デモクラシーのエキスで
作られたと言われた
ワイマール共和国が、
不況の風の中でたちまち倒れたあと、
本格派独裁者ヒットラーに政権が
バトンタッチされたとき、
歴史学のえらい人マイネッケは言った。
ドイツにおけるモクラシーは、
バリケードの中から生まれた
のではなかったから、
かくも脆弱であったのだ、と。
ワイマール共和国にくらべると、
フランス第三共和国は強靭であった。
小室直樹 大先生『韓国の悲劇』