レーニン ロシア革命
ロシア革命における
レーニンの決断。
「平和と土地」を
農民出身の兵士たちに与える
という
レーニンのスローガンは、
肺炎のチャーチルへの
ペニシリンのごとく効いた。
亡命先のスイスから、
急遽、
封印列車につみこまれて、
ペテルスブルグ
(今のレニングラード。ロシア帝国の首都)
に宅送されてきたのであった。
この封印列車を仕立てたのは、
ドイツ首席参謀次長ルーデンドルフ。
レーニンは決起して、
めでたく、
すべての権力を握った。
さあ、これからが大変。
「平和と土地」といったって、
どこから仕入れて農民に与えるのか。
「土地」のほうは、
まだ簡単。
にっくき地主どもを殺すか
放逐するかすればよいが、
「平和」のほうともなると、
そうはやすやすと問屋が卸さない。
相手は、東部戦線で
ロシア軍を殲滅しつつあるドイツ軍。
レーニンは、
当時のソ連のナンバー2、
トロッキーを
ブレスト・リトブスクに送って、
ドイツとの講和交渉をやらせた。
しかし
ソ連が提示した講和条件は、
あまりにも虫がよすぎるので、
世界中が呆れた。
賠償金は払わない、
領土は割譲しない…。
レーニンは決断した。
ソ連は、
ロシア領の四分の一と
人口の三分の一、
鉄、石炭の四分の三などを
ドイツに奉って「降伏」した。
これが、ブレスト・リトフスクの講和。
これだけの土地で平和を
購ったのだから、
「売国奴」にはちがいないが、
購主は、
ロシア革命とソ連人民。
かくも高価な犠牲と
しのぶあたわざる屈辱の
代償として
ロシア革命とソ連人民とは
救われたのであった。
レーニンの決断によって、
ロシアは、
歴史的正統性を得た。
ロシア革命の強靭さ、
まさに驚嘆すべきものがある。
経済政策の失敗による
NEP (資主義的な新政策)への
後もどり。
農村収奪の飢餓輸出による
五ヵ年計画につぐ五ヵ年計画という
重化学工業化。
空前絶後の大粛清、
「収容所列島」ができるほどの国民への強圧。
ヨーロッパ征服者ドイツ軍との死の決闘。
どれ一つとっも、
革命を圧殺するに十分な世界史的大事件である。
しかし、
ロシア革命は生きのびた。
これすべて、
ロシア革命が、
レーニンの決断によって、
歴史的正統性を得たからである。
小室直樹 大先生『韓国の悲劇』