則天武后
為政者は後世に何を遺せたか。
則天武后、
血塗られた権力の階段を上る。
“大唐の春を築いた女性の大いなる功績”
(中国に女帝はいなかった)
彼女は名門の出ではない。
門閥全盛の南北朝から
そう隔たっていない当時の事、
是れは重大である。
女である事、
此の二つのハンディキャップを
克服して皇帝となり、
中国に空前絶後とも
言うべき繁栄を
齎した点に於いて、
秀吉も及ぶまい。
(女が権力の階段を上る時)
(飽くなき権力への執念が野望を実現)
(スターリンも顔負けの凄い粛清)
孤独皇后は許さない。
文帝の妾を見付けたが最後、
皇后が皆な殺してしまう。
独孤皇后、
少々、
いや大いに異常だ。
自分達の夫婦関係だけなら、
「焼餠焼きも当人の勝手でしょう」
ともなるのだが、
ご丁寧にも、
他人の分まで焼いてやるのだ。
臣下の中で、
正妻より妾を可愛がっている
なんて事が
皇后にバレたら一大事、
出世が差し止められてしまう。
(情報を握る者が最後に勝つ)
(権力維持の為には子殺しも辞さない)
司馬光の『資治通鑑』に依ると、
武昭儀は、
王皇后が帰った後、
直ぐ部屋へ戻って、
我が子を絞め殺した。
(聞かれた人材登用が自由と平和と繁栄を生む)
(卓越した政治家は戦争をしない)
則天武后の文化的業績は
際立ったものがあるが、
其の前に強調して
置かなければならない事は、
彼女の平和主義である。
もし、
平和に最高の価値を置くとすれば、
則天武后こそ、
最高の評価を与えられなければならない筈である。
彼女の帝国は、
「平和の帝国」であった。
しかも、
輝かしい戦勝の上に建てられた平和の帝国である。
(征服と拡張欲を何処で自制するか)
権力者には、
必ず征服の衝動があって、
勝利に酔うと、
次々と新しい征服を繰り返す。
ジンギスカンは言うに及ばず、
秦の始皇帝、
漢の武帝、
隋の煬帝、
唐の太宗から、
明の成祖、
清の高宗に至るまで、
凡そ強大な権力を握った皇帝は、
必ず大規模な外征を起こす。
戦争が如何に厖大な
費用を費やすか、
是れは、
古今東西、
変わる事はない。
孫子は既に、
此の事を強調し、
戦争に於いて大事な事は、
なるべく早く止める事だ
(兵は拙速をきく、いまだ巧の久しきをみざるなり)
と言い、
また戦争は勝つよりも
始めからやらないで
戦争目的が達せたなら、
猶お良い、
とも言っているが、
正に其の通りだ。
(革命中国が評価した則天武后の治世)
中国人は欧米人や
日本人と違って、
骨の髄まで
平和国民である。
大きな治績を挙げた
漢の武帝が名君と
されないのに比し、
殆ど何もしていない
彼の祖父の文帝が
名君とされているのである。
則天武后が、
赫々たる大勝にも拘らず、
大征服にも乗り出さず、
国内に於いてもまた、
内乱らしい内乱がなかった事、
是れだけでも
名君として
高く評価される
べきであろう。
中国四千年の歴史で、
恐らく彼女の時代程、
中国の民衆が
自由の空気を
呼吸した事は
なかったであろう。
前漢末から後漢の
光武帝が再統一するまでの
大動乱で、
民戸の数は三分の一に
なってしまったと、
或る詩人は嘆いている。
治安を維持し、
平和を保ち、
民生を豊かにした。
人材を登用し、
上下の交流を盛んにして
自由化した。
是れだけで十分に、
『貞観』
『開元』
に匹敵すべき治績で、
『則天の治』
と言う言葉を作っても
良いくらいだ。
彼女の治世、
年号を採ろうにも、
余りに多くて、
どれを採って良いやら分からない。
しかし、
彼女の功績は、
是れに止まらない。
其の文化に於ける業績こそ、
特筆大書すべきものがある。
文化省とも言うべき
『控鶴府』
を設置して
文化の隆盛の為の
一大センターとした。
其の成果の一つが、
『三教珠英』
であって、
是れは、
儒教、仏教、道教の
三つを
統合しようと言う
野心的な試みである。此
の三つの宗教、
其れ以前も其れ以後も、
猛烈に啀み合うのであるが、
彼女は、
此の三つのエッセンスを体現し、
是れを全国民に
及ぼそうと言うのだから、
是れは大した試みではある。
其の他、
書に詩に
建築に、
文運隆々として栄えた。
則天武后の治世は、
暗いどころでなく、
目眩く明るさを
以て世界を照らしていた。
革命後の中国で、
彼女を絶賛する
論文が続出したのも頷ける。
『政治無知が日本を滅ぼす』小室直樹 大先生