憲法9条
今や憲法第九条は空文となった。
憲法に関して言う限り、
日露戦争の10年前に起きた
日清戦争の方が重要だろう。
と言うのも、
この戦争で憲法の解釈が確定し、
日本は立憲君主国家になったからである。
当時の朝鮮政府内で
親中国(清国)派と
親日派の抗争が長らく続き、
政治に混乱が生じた為に
朝鮮国内で農民反乱が起きた。
これを受けて、
清国が朝鮮出兵を宣言し、
これに対して
1885年に結ばれた天津条約に従って
日本も出兵を決めた
ところから戦争が始まった。
この軍事緊張が起きた時、
日本の政府、
特に外務省や軍部は日清戦争已む無し
と言う覚悟を決めていた。
そこで未だ宣戦布告もしない内に
大本営を設置する等、
矢継ぎ早に対策を講じていた訳だが、
これに対して猛反対をなさったのが
明治天皇であった。
最終的には戦争は已むを得ないとしても、
外交交渉を尽くしたらどうか
と言う御意向であったのである。
ところが結局、
同年7月25日の
豊島沖海戦から日清戦争が始まった。
未だ、この時日本は
清国に宣戦布告をしていなかった。
この報せを聞いて、
明治天皇が激怒なさったのは
言う迄もない。
天皇は直ぐに伊藤博文首相を呼び、
攻撃中止命令を出された。
この天皇の命令に対して、
時の明治政府はどう対応したか。
ここで天皇の命令通りに
攻撃が中止されたとすれば、
天皇は専制君主であると言う事になる。
君主の信託を受けた内閣が
実際の政治を行なっていても、
最終的な拒否権が
天皇にあると言うのなら、
これは紛れもない専制君主国家である。
一方、如何に天皇が君主であると言っても、
内閣の決定に拒否権を行使し得ないと
言うのであれば、
これはイギリス流の
立憲君主国家と言う事になる。
良く言われる様に、
イギリスの国王は
「君臨すれども統治せず」
である。
イギリスでは1707年、
アン女王が拒否権を
発動したのが最後で、
それ以後の国王、
女王は誰も拒否権を行使していない。
而して日本の場合は。
その答えは歴史の示す通り。
政府は従来の方針に従って
日清戦争に踏み切った。
同年8月1日、
日本は清国に宣戦布告をした。
明治天皇は
飽く迄も戦争に御反対で
「これは朕の戦争ではない」
とまで仰った
と伝えられている。
開戦の報告を
皇祖(天照大神)と
皇考(孝明天皇)の
御陵に報告する為の
勅使の派遣をなさらなかった
のもお怒りの表われである。
だが、
一度政府が戦争の決定を下した以上、
それに対して拒否権は
行使なさらなかった。
つまり、
この日清戦争を契機に、
日本では事実上の憲法の変更が行なわれ、
日本は立憲君主国家になったと言える。
日清戦争の時、
明治憲法は事実上の変更をされている。
天皇は立憲君主になられたのであって、
閣議の決定に拒否権を行使しない事が慣習となった。
つまり、日本も亦、
18世紀以後の
イギリスと同じ
立憲君主国としての道を
歩む事になったのである。
従って、
イギリスが近代に入って
数々行なった戦争に付いて、
時の国王・女王に政治責任が
ないのと同じく、
昭和天皇に開戦の責任等あろう筈もない。
憲法第9条を巡る論議が、
常に堂々巡りを続け、
結論を得ない最も大きな原因は、
この条文が述べている
「戦争の放棄」
とは
一体何を意味するのか、
と言う問題である。
日本国憲法第9条
日本国民は、
正義と秩序を基調とする
国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、
武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、
永久にこれを放棄する。
2前項の目的を達するため、
陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。
国の交戦権は、
これを認めない。
この第9条では第1項で
「国権の発動たる戦争」
と
「国際紛争を解決する手段として」
の戦争
を
放棄するとしている訳だが、
自衛戦争は放棄しているのか、
していないのかが明示されていない。
そこで自衛隊は違憲なのか、
合憲なのかと言う論議が生まれて
来て中々決着が付かない。
これは一例であって、
第9条の条文は様々な問題を孕んでいる。
では、
この様に条文の意味が曖昧で、
解釈が分かれる場合、
国際法ではどうするか。
現代の地球上には国際法の解釈を
確定してくれる裁判所等は存在しない。
権威ある第三者が条文の意味を
決定してくれる事は期待出来ない訳である。
こうした場合、国際法で先ず
優先されるのが
「立法者の意志」
である。
アメリカが
日本に九条を押し付けた意味は明々白々である。
それは日本による対米報復戦を
封じる為の物であった。
日本に勝ったアメリカが最も心配したのは、
将来、日本がアメリカに対して
リターン・マッチをする
のではないかと言う事であった。
そこでアメリカは教育の
「骨抜き」に代表される、
様々な防止策を採った訳だが、
然し、
単に日本人の愛国心を骨抜きにしたり、
或いは日本にデモクラシーを
定着させるだけでは決して安心出来ない。
そこで彼等は9条を制定して、
日本の軍備をゼロにする事を考えた。
嘗て、
第一次大戦に敗れたドイツは、
ベルサイユ条約に依って
徹底的に軍備縮小をさせられた。
言うまでもない。
ドイツの報復戦の可能性をなくす為であった。
然し、
それでもヒトラーのドイツは見事、
ドイツ国防軍を復活させた。
この経緯があるから、
アメリカは今度は徹底的に
日本の武装解除を狙ったと言う訳である。
従って、この9条は本来、
日本がアメリカに対して復讐戦を
行なわない事を主眼として設けられた物
であったと言う事が出来る訳である。
立法者の意志から見た場合、
憲法第9条とは、
本質的に日本の対米報復戦を
抑止する為に作られた条文で
あったと言える訳だが、
然し、
これは飽く迄も
「だった」
と言う過去形の話であって、
それで以て憲法9条の解釈が
確定すると言う物ではない。
ここが重要である。
何故なら、
憲法が制定された時代と
今日とでは余りにも
事情が違い過ぎるからである。
先程も述べた様に、
この憲法が作られた時、
日本の戦争と言えば
対米報復戦だけであって、
それ以外の戦争は想定されていなかった。
然し、憲法制定から
数年も経たない中に状況が
大きく変わる。
米ソ冷戦の激化である。
ここに於いて、
「日本の戦争」は
対米報復戦から、
ソ連が攻めて来た場合の
自衛戦争に意味が変化した。
この状況の変化に対応すべく、
アメリカが吉田内閣に圧力を掛けて
自衛隊を創設させた事は
今更言う迄もないだろう。
ところが、
事情の変化はそれだけでは終わらない。
1991年のソ連邦の消滅に依って、
米ソ対立と言う図式が今度は消滅した。
その代わりに
先ず現われたのが、
PKOに象徴される
国内紛争の解決手段としての戦争である。
最早米ソの直接対決、
或いはその代理戦争が
行なわれる可能性はなくなった。
そこでアメリカの関心は、
アフリカやアジアの各地で
行なわれている局地紛争、
或いは国内紛争の
仲裁者になる事に移った。
日本にもPKO等の派遣要請が来る様になった。
ところが、
ここに来て、
またまた戦争の意味が変わってしまった。
イスラム対アメリカの戦いである。
2001年9月11日に起きた
同時多発テロ事件まで、
テロと戦争とは区別されて扱われてきた。
ところが、
ここに来てアメリカは戦争の定義を変更し、
同時多発テロ事件は
アメリカに対する戦争であるとした。
そして、
この
「聖戦」
への参加を
世界中の国に呼び掛ける
事になったと言う訳である。
「事情変更の原則」とは
戦後半世紀の間に、
「戦争」
と言う言葉の
持つ意味は
二転、三転、四転した。
この様な状況に於いて、
果たして50年前に作られた
憲法9条をどう解釈すべきか。
これは立法者の意志だけでは
解決の付く問題ではない。
そこで次に重要になって来るのが
「事情変更の原則」の検討である。
「戦争」の概念は完全に
変わったのである。
今の日本で、
大東亜戦争の敵討ちを本気で
行なうべきだと考えている人が
どれだけいるか。いる訳がない。
何しろ、
「アメリカの51番目の州になった」
とさえ言われているのが
現代の日本である。
その日本がアメリカに戦争を売れば、
戦争をする前に
日本経済の方が忽ちにして
崩壊してしまうのが
オチと言うものである。
つまり、
憲法9条を巡る
「事情」
は完全に変更された。
依って
事情変更の原則に因って、
憲法9条は空文化、
死文化した
と見るべきであろう。
終戦直後、
アメリカは
「次に日本が戦争をするのだったら、
それはアメリカに対する再度の挑戦になるだろう」
と考えた。
ところが、
今日、
日本にとって
最も大きな可能性を持つ
「戦争」
とは、
海外からのテロ攻撃、
ゲリラ攻撃である。
即ち、
日本海沿岸の原子力発電所が
某国の手に依って破壊される。
或いは霞ヶ関や永田町において
毒ガスや生物兵器が使われる。
或いは満員の大観衆のいるスタジアムが爆破される。
半世紀前には誰も予想も
していなかった事態が、
今や絵空事ではなくなりつつある。
こうした可能性を完全に
否定出来る人はいないであろう。
しかし、
こうした「新しい戦争」の危険性を指摘すると、
「だが、それでも尚、
憲法第九条が掲げる
平和主義・非武装主義は
守っていくべきだ」
と主張する人達が必ずいる。
どんなに時代が変遷し、
事情が変わろうとも、
非戦の思想は時代を超越していると
言う訳である。
成程、
それはそれで一つの思想である訳だから、
そうした意見を完全に否定する物ではない。
だが、
そう主張しておられる方に、
一つだけ借問したい事がある。
【問】
若し、
憲法9条と13条が衝突した場合、
どちらを優先させるのですか。
そこで自衛隊を
「憲法第13条の軍隊」、
即ち
「国民の基本的人権を守る為の軍隊」
とすれば、
どうなるのか。
憲法第13条は国家に対して、
国民の生命・自由・幸福追求
の権利を
守る為に「最大限の尊重」をせよと
命じている。
「国民の人権を守る為にこそ
自衛隊は必要なのである」
と真正面から主張していたら、
自衛隊が「鬼っ子」の様に扱われる事はなかったであろう。
いや、
そればかりか、
今とは違って自衛隊は
もっと国民から尊敬される
存在になっていた
かも知れないのである。
小室直樹 大先生『憲法とは国家権力への国民からの命令である』