仏教の教え
仏教の教え、
つまり仏の教えとは何なのか。
「お釈迦様の教え」
なのか。
それは大きな誤解であって。
たしかに創始者はお釈迦様。
しかし、
仏教の教えは
お釈迦様が考案したものではない。
だったら、
誰の教えなのか?
【答え】は
誰の教えでもない。
仏教は思想ではない。
いやむしろ、
科学に近いもの。
たとえば万有引力の法則
はニュートンが発見した。
それは発見しようとしまいと、
元々存在するもので、
宇宙が作られたときから存在し、
アダムとイブの時代から、
リンゴは木から地面に落ちた。
ニュートンは、
それを法則という形で示した。
仏教における
お釈迦様の役割も同じで、
法則という形で示した。
菩提樹のしたで、
お釈迦様は
すべてを貫く
道徳法則を発見した。
それは、
人はなぜ生まれるのか。
人はなぜ年をとるのか。
人はなぜ病気になるのか。
人はなぜ死んでしまうのか。
もともとお釈迦様は
インドの王様の子供、
王子様。
「苦とは何か」
を追求するために
その生活を捨てて、
修行の生活に入った。
その結果、
発見したのが、
「すべてを貫く道徳法則」
があるゆえに
苦は存在する
ということを
悟った。
したがって
お釈迦様が発見しようと、
しまいと、
そこに存在している。
つまり、
仏教は
「守る」
とか
「守らない」
とか
そういった話は
最初からナンセンス。
では、
人間が苦しみから
逃れられないのはなぜなのか。
それは、
人間の中に
「煩悩」
という
原因があるから。
煩悩。
わかりやすくいえば欲望。
お金持ちになりたい、
異性にもてたい、
食べたいなど。
この原因を消滅させ、
煩悩を断ち切らないかぎり、
苦は消滅しない。
人間は救われない。
これがお釈迦様の
発見した
仏教という法則。
実は奇妙奇天烈、
摩訶不思議な
キリスト教。
そのキリスト教の教え
と比べれば、
仏教の論理は
きわめて
明晰(めいせき)。
近代科学に通じる
合理性がある
というもので。
それでは、
いかにして
苦の原因たる
煩悩を
消滅させる
ことができるのか。
煩悩を消滅させる
方法を説いたのは、
他ならぬお釈迦様。
お釈迦様は
すべてを貫く
道徳法則の
何たるかを悟ると
同時に、
煩悩からの
脱却方法も
発見した。
煩悩を
断ち切るには
どうしたらよいか。
その方法の一つが
修行。
キリスト教とは違って、
仏教では
「信仰のみ」
で救われる
というわけではなく、
重要なのは、
外面的な行動で、
俗人のように
煩悩にまみれた
生活を送って
いたのでは、
いつまで経っても
苦が消滅する
はずもなく、
お金持ちになりたいとか。
異性にもてたいとか。
食べたいという気持ちを
断ち切る必要がある。
だから、
仏教では修行が重んじられ、
お釈迦様が草創した
インド仏教においては、
修行者は
私有財産を持つことも
許されず、
働くことも、
お金儲けも
してはならなかった。
もちろん結婚してはならない。
お酒を飲むのも御法度。
人や動物、虫を
殺してもいけない。
こういった行為は
すべて煩悩が
もたらすものであり、
悟りを妨げるものと考えた。
そこでお釈迦様は、
そのような悟りを
開くための
行動規範
「戒」
を定めた。
しかし、
私有財産もなく、
仕事もしないのでは、
修行者はどうやって
暮らしていくのか。
修行者は修行集団に入り、
そこで在家(ざいけ)
信者からのお布施、
つまり寄付に頼って
生活する必要がでてくる。
修行者皆で
共同生活をするわけなので、
おのずとルールも必要になる。
そこで生まれたのが
「律」。
つまり戒律とは、
先ほど伝えた
悟りを開くための
行動規範である
「戒」と
修行者の
共同生活でできた
ルールである
「律」。
それでは仏教、
その結論を申し上げると。
難しい言葉で「涅槃(ねはん)」
という境地に達する。
修行や善行を
積み重ねていき、
煩悩から解脱すると
仏になれる。
つまり「成仏」。
そうすると、
輪廻転生のくびきから
解き放たれる、
これが、
お釈迦様が発見した仏教の
基本的な考え。
小室直樹 大先生『日本人のためのイスラム原論』