帝国大学と早稲田大学
帝大卒エリートが
あまりにも威張っていた。
威張る役人が
出てきたのでは
国のためにならない。
だから大隈重信は、
在野で役人を
批判しようという
立場から、
早稲田を作った。
福沢諭吉の慶應も同様。
明治時代は
非常によかった。
私学で特権がない。
だから、
理念や内容など
学校そのものを
よくしなかったら
学生が集まらない。
教授やスタッフは
必死になっていた。
明治維新がおこり、
やがて伊藤博文が
元勲のトップになった。
軍の士官学校はあるのに
役人作りの学校がなかった。
だから帝大を作った。
ところが、
役人の上には
それを動かす
政治家がいないといけない。
マックス・ウェーバーいわく
「最高の役人は最低の政治家である」
まだ、
明治時代はそれでもよかった。
明治維新を起こす
ほどの
沢山の大英傑や
豪傑が残っていたから。
ところが、
1939年に最後、
真の政治家はいなくなった。
早稲田の法学部が
国家公務員試験の
合格者が多いなどと
いうことを
自慢にするのは最大の堕落。
在野で
国家の役人に
ならないのが理想だったから。
大隈重信は学生に、
将来の総理大臣になるために
努力して
勉強せよ
と言った。
理想は、
役人の言うことばかり
聞いていてはいけないから、
役人に
命令するために
政治家になれ、
役人を批判するために
編集者や新聞記者になれと。
『人をつくる教育 国をつくる教育』 小室直樹 大先生