資本主義と独占
市場法則の第一義!淘汰にあり。
即ち、失業と破産にあり。
市場は労働者を作る。
また、市場は企業を作る。
では、如何にして。淘汰によってである。
自由市場とは何か。
1財の同質性需要者
2供給者の多数性
3完全情報参入
4退出の自由
三番目の条件が完全情報である。
自由市場成立のために、
これ程重要でありながら、
その非現実性をこれ程強く
批判されてきた条件も他にない。
市場価格を全ての市場参加者が
知ることができる。
しかも、
無料で直ちに
(刹那に、無時間に)
知ることができる。
これが完全情報である。
個人が自由に利益を追求する
(消費者は効用を最大にする。
企業は利潤を最大にする)
ことを是認する
(古典派)
ことから
資本主義はスタートする。
が、
根本的矛盾と言うか業と言うか、
資本主義は独占に行き着く。
ここが自由市場の癌と言うか何と言うか。
自由市場は、
自分自身を否定する契機を内包している。
この独占化の傾向こそ、
あるいは、
完全競争の宿痾であり、
市場の効率を低下させる。
この独占化の傾向に対する歯止めとしても、
ベンチャー・ビジネス興隆が
持つ意味は極めて大きい。
独占化の傾向に乗った企業が、
その上に胡座をかいていると、
新発のベンチャー・ビジネスに
よって退出させられかねない。
そこで、
アメリカにおける資本主義者の闘争目的は、
独占禁止法を有効に作動
せしめることに
向けられることになった。
アダム・スミスは、
敷衍して言った。
全ての個人が利益追求という悪徳を行うと、
神の見えざる御手(invisiblehand)に
導かれて、
経済全体としては、
最大多数の最大幸福
という美徳が
達成されることになる。
この教義によって、
個人の利益(利潤)追求は
是認されることになった。
それは正統であるとされるようになった。
何の疚しさも、
後ろめたさもなく、
白日の下で
追求できるようになった
のであった。
アメリカ経済史は、
一面、
独占禁止法を巡る、
独占企業と米政府との闘争である、
とも言われる。
アメリカ人の大多数は
資本主義者である。
自由競争市場(freemarket)の
信奉者である。
「市場が自由であれば全て善し」
と信じ切っている。
この命題の対偶を取れば、
「良からぬことは市場が
自由でないことから起きる」
となる。
アメリカ人は、
市場が自由でないことを嫌う。
が、
皮肉と言うか呪いと言うか、
自由市場は独占を生む。
独占は市場を自由でなくする。
自由市場が内包する矛盾である。
アメリカ人は、
独占禁止法で何とかして独占を打破して、
自由競争を生息せしめようとした。
そのアメリカ人が日本へ来てみると、
財閥という独占企業が蔓延っている。
それに、
この財閥は戦争協力者でもある。
財閥なんか解体してしまえ。
自然の成り行きである。
財閥は解体された。
日本は資本主義とは言いながら、
この上なく封建的な地主が生息している。
農地解放によって、
地主は殲滅された。
これで目出度く、日本は資本主義へ
蟬脱できたのだろうか。
日本は、実は鵺経済であったことを
お忘れなく。
鵺経済の封建制の部分は、
資本主義者であるアメリカ人にとって、
特に目に障った。
小室直樹 大先生『日本人のための経済原論』